大切な誰かと一緒にいる為に
だれでもなく自分が自分の一番の味方でいることだよ。
大切な誰かと、ずっと一緒にいることは
大切な自分と、ずっと一緒にいてあげること
それって何かなと思うと、こんなことかな。
過去もやもやしてるのに、見ないふりしてきたこと。
見ないふりすれば、何も失わないと安心していたこと。
見ないふりすれば、相手を傷つけないと思っていたこと。
そして結果、自分を傷つけてゆくから、見ないふりしてたのに、相手から傷つけられ(たような事象が起こる。)、こんなはずじゃなかった事態。
我慢して許したのに、
傷つけられた。
そんな風になると、
大切な誰かと、ちっとも一緒にいられない。
時には過去の見たくないものから離れることも、
見たいものと見たくないものを選択することも、
見ないふりしているより、
人生、そちらの選択が必要な時もある。
滅私奉公という言葉がある
献身という言葉がある
それは究極的な愛なんだと思います。
単純に我慢してそれをすることとは違います。
献身的であることは、相手に対して文句っていうことは出てこない。
自分が消えていく瞬間は、ひたすらに自分が自分であることに向き合っていった先にあるものなんだ。
自分が自分にしてあげたから、
誰かにしてもらえることが起こるだけ。
自分が自分にしてあげなかったから、
誰かにしてもらえなかったことが起こるだけ。
だから、向こうからやってくるのを待つ。
そして、他人ばかりに目を向けすぎて満たされなかったのだから、
自分を満たし続けることに注力することが大切。
他人にしてあげることでも、自分の為に満たす為にしてますってこともあるけど、
それなら、他人の反応など必要ないのだけど、他人の反応が必要ってなった時点で、自分を満たすことじゃなく、外界の反応が欲しくてしてること。
自分満たしとは違ってくる。
なら、無理無理、自分を満たす為に相手に奉仕してますとか言う名目なしに、相手の反応欲しいからしてます!笑笑 って、堂々と振り切るのも大事かもね。笑
そう、したい時もある!
だってさ、人間関係、
相手を受け入れることも、許すことも、どうしてもできないことがある。
してもらって喜び、
してもらえなくて憎むことを選択してしまっていたからだと思う。
だからといって、なんでもかんでも自分責めをしたら愚かだから、
怒りや悲しみを感じたことに蓋をしたりしない。
そして、苦しい反応が起こってしまうことに対して、
時には離れることが必要な時もある。
そして、自分と向き合う必要があるだけ。
なんでかって、
自分で創り出したものなんだけど、
自分のせいなんだけど、
自分のせいにしない。
それを知っている上で、それでも他人のせいにした先に、
自分に還っていけばいい。
そこに大きな気づきや変化が手に入っていく。
自分が自分にしてあげたから、
誰かにしてもらえることが起こるだけ。
自分が自分にしてあげなかったから、
誰かにしてもらえなかったことが起こるだけ。
自分の世界を放棄しないでいること
自分が自分だから、誰かといられる
自分を消さないと一緒にいられないんじゃなくて
誰かといて自分が消えちゃうんじゃないかと恐れることはなくて
大切な誰かと、自分でいながら傍にいることができる
最後の出会いで最高の出会いになる
自分を信じて
自分を愛して
自分を讃えて
その先に相手の笑顔と幸せが見える
この世界に生まれて
最初で最後の最愛の自分に出会ったから
いつも自分と相思相愛であれ
客観的にメッセージを代弁してくれる
占いという道具に感謝しながら
いつも応援してくださるお客様、家族、友人に感謝しながら
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