見える世界が消えるわけじゃないから、幸せはゴールじゃない
幸せはゴールじゃない。
私はゴールじゃないゴールへの抜け道はわからないけれど、
私なりに思うこと。
幸せはゴールじゃない。
なぜなら、ドラマなんかはハッピーエンドで終わるけど、
私たちにはその先の人生、物語が続いていく。
人生は回り続けるわけで、見える世界がそれで消えるわけではないわけで。
これを選んだから単調にこのゴールと幸せがあるという訳ではなく、
人の心は揺れ動き、選択の瞬間が目の前にたくさん差し迫ってくる。
その選択に対して、
どう自分を見て、どう感じ、どう考え、
選択していくかで、
あの時の幸せを超越することも、
あの時の幸せを失うこともあるわけで。
でも、選択できる瞬間や、
悩むことが出来る瞬間があることが、
そもそも幸せだなと思えるんだ。
選べなくなったら、それは選ぶことができる肉体がないってことだし。
そして、ある何年か前のあの時の幸せを握り絞めていたら、
苦しくなるわけで。
今の幸せも、時が流れたら、あの時の幸せになるわけで。
あの時の幸せは、今の幸せとはイコールにならない。
なる時と、そうでない時があるわけで。
だから、どうなるかわからない。
けど、繋がっていきたい人がいて、
繋がり続けたい人がいて。
繋がり続ける為には、
一回の幸せと完結に執着していたら始まらない。
人は成長することも、
逃げることもできるけど、
今は成長も逃げも関係なくて、
幸せは今感じられるから、
今の積み重ねで、
幸せと感じられることを一つでもできることが、
その先の幸せなんだろうな。
不幸せがあるから、幸せを感じられる。
私が幸せと一つに交わったなったら、幸せってなんなのかわからない。
幸せと完全に交わる直前くらいで遊んでいるのかもしれない。
もしかしたら、幸せを感じていることが増えることが、みんなが言う幸せなのかもしれない。
日々、流動的で、変化しているものだから、
自分が感じることも、目の前の出来事も、次々変化していくわけで、
幸せを固定化できるという固定概念は持たない方が幸せでいられる。
だから、幸せは達成するものではなくて、
次に私たちが選択することが、
幸せを感じられるか、
すでに幸せでいられることが、
この瞬間もあるのだと思えることが、
幸せであるような気がする。
そして、相手を愛する気持ちや真心があれば、
きっと独りよがりな欲望の偽装の幸せではなくて生きられる。
心から生きていることと、
自分でよかった、と思える日が来て、
人生の最後にちゃんと死ぬことができるような気がする。
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